フェルメール

【フェルメール全作品】ヨハネスフェルメールという作家の魅力を完全解説

更新日:

展示会が開かれれば長蛇の列になるフェルメールの作品。

 

そんなフェルメールの全作品と

謎多きフェルメールという作家の魅力に迫ってみたいと思います。

 

とりあえず、「このページさえ読めばフェルメールのことはだいたい理解できる」というくらいのボリュームにしてあります。


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フェルメールはオランダの三大巨匠の一人

フェルメールはオランダの画家で、生涯のほとんどを生まれたデルフトで過ごします。

オランダの三大巨匠とは

・フェルメール
・レンブラント
・フランス・ハルス

他の二人とフェルメールが大きく違うところは作品数です。

レンブラント:約500点
フランス・ハルス:約140点
フェルメール:34点

フェルメールは43歳でこの世を去っていますが、それでも約20年の活動期間で作品数34点は圧倒的に少ないです。

ただし、記録によると見つかっていないフェルメール作品がまだ10数点はあるとみられています。

 

フェルメールが生きた17世紀のオランダには有名な画家がたくさん存在します。

フェルメールだけがただひとり突出していたというわけでもないんです。

 

しかし、18世紀、19世紀のオランダ人画家で世界的な評価を受けている者はひとりもいません。

つまり、オランダの有名画家はほとんど17世紀(1600~1700年)に集中しているのです。

 

なぜ17世紀のオランダにフェルメールを含め有名な画家が生まれたのかを知るためには、その背景となる当時のオランダ情勢を把握しなければなりません。

世界最強の国だったオランダ

17世紀のオランダ(当時はネーデルランド)は貿易・科学・軍事・芸術のすべてで世界の頂点に君臨していました。

 

当時のヨーロッパでもっとも高額な値段で取引されていたものに「香辛料」があります。

香辛料は東南アジアが産地で非常に安い値段で購入することができました。

その香辛料をヨーロッパに運ぶだけで莫大な利益を生むことができたのです。

 

1602年に設立されたオランダ東インド会社(世界初の株式会社)によりアジア圏の貿易をオランダが独占しオランダはいっきに成長します。

このときのオランダの凄まじい成長は「オランダの奇跡」とも呼ばれています。

 

1600年代と言えば日本ではちょうど戦国時代が終わり江戸幕府が始まったころです。

江戸幕府はキリスト教を締め出すために鎖国をしますが、ヨーロッパ圏の国で貿易が許されたのはオランダだけです。

 

国が裕福になれば市民のふところも潤っていきます。

すると投機のために絵を買う人が増え、重要があるから書き手である画家も増えるという芸術家が育つための下地が出来上がっていったのです。

 

しかし、1672年フランスのオランダ侵略(仏蘭戦争)によってオランダの国力は疲弊して栄光のオランダの時代は終わりを告げます。

その3年後の1675年フェルメールもこの世を去ります。

フェルメール代表作の紹介

フェルメールは30数点という少ない作品の中にいくつもの名作を残しています。

フェルメール代表作

マリアとマルタの家のキリスト

作品名 マリアとマルタの家のキリスト
年代 1655年 - 1656年頃
サイズ 158.5×141.5cm

見つかっているフェルメール作品の中で最もサイズの大きいもの。

「マリアとマルタの家のキリスト」より年代が古いとされている「聖プラクセディス」は真作であるか意見がわかれています。

「聖プラクセディス」がフェルメールの真作でないとすると「マリアとマルタの家のキリスト」が一番古い作品と言えるでしょう。

牛乳を注ぐ女

牛乳を注ぐ女

作品名 牛乳を注ぐ女
年代 1658年 - 1660年頃
サイズ 45.4×40.6cm

初期の作品の中でもかなりサイズの小さいもの

描かれている女性は義母の女中である「タンネケ・エフェルブール」だと言われています。

赤・黄色・青という原色を使いながらも気品のあるこの作品はフェルメールの中でもとくに人気の高いものです。

【関連記事】
「牛乳を注ぐ女」完全解説!美術館に行く前に知らないと損する9つポイント

デルフトの眺望

デルフトの眺望

作品名 デルフトの眺望
年代 1660〜1661年頃
サイズ 96.5×115.7cm

2点しか存在していない風景画のうちのひとつ。

もうひとつは「小路」

画面の上半分は空で手前には黒い雲がかかって、なんとなく向こう岸が華やかに見えます。

真珠の耳飾の少女

真珠の耳飾の少女

作品名 真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)
年代 1665年 - 1666年頃
サイズ 44.5×39cm

口ものが少し開いて微笑んでいるようにも見えることから「北のモナ・リザ」「オランダのモナ・リザ」とも呼ばれています。

牛乳を注ぐ女とともにフェルメールの中でもとくに人気の高い作品です。

 

背景が真っ黒で年代を推測する情報も少ないことから正確な作成年月日はわかっておりません。

この少女は誰なのか?

なぜ、異国文化のターバンをしているのか?

など多くの謎がいまだに解明されていません。

 

ちなみに、この絵が再び世に出たのは1881年フェルメールの時代よりも200年後です。

そのときオークションでの購入金額は2ギルダー30セント(およそ1万円)

現在「真珠の耳飾の少女」の価値は100億~200億相当と言われているのに…

絵画芸術

絵画芸術

作品名 絵画芸術
年代 1666年 - 1667年頃
サイズ 120×100cm

フェルメールの中でも傑作との呼び声が高い作品。

フェルメール自身の自画像は存在していませんが、この絵の中で絵を描いている画家はフェルメールだともいわれています。

 

フェルメールは亡くなる前に破産するほどの負債を抱えてしまいます。

しかし、それでもこの絵だけは売らずに持っていたことからフェルメールにとっても相当思い入れのある一枚だったのではないでしょうか。

天文学者

天文学者

作品名 天文学者
年代 1668年
サイズ 50×45cm

フェルメールの別の作品「地理学者」と対をなす作品。

フェルメール作品のうち男性単体で描かれているのは「天文学者」と「地理学者」のみ。

描かれている男性が着ているのは日本の「はんてん」だともいわれています。

 

モデルは当時デルフトに住んでいたアントニ・ファン・レーウェンフックだと言われています。

アントニ・ファン・レーウェンフックは歴史上はじめて顕微鏡を使って微生物を観察し「微生物学の父」と言われるほどの科学者です。

信仰の寓意

信仰の寓意

作品名 信仰の寓意
年代 1670年 - 1672年頃
サイズ 114.3 cm × 88.9 cm

フェルメールの有名な作品は1660年代に集中しています。

1670年代に書かれたものも数点ありますが明らかに画力の衰えを感じます。

そんな中、渾身の出来栄えを放つのがこの作品です。

 

細かいところまでよく描かれているように感じますが、この作品の芸術的評価は高くないようです。

室内をテーマにした絵の多くは左から光が照らされていますが、この作品には光が差し込んでいる様子はありません。

フェルメールの全作品一覧

フェルメールの全作品(真偽不明のものも含めて)をまとめました。

フェルメール作品のほとんど正確な作成年月日がわかっておりませんが、一般的に予測されている年代で古い順に並べてあります。

※横にスライドできます。
※絵をクリックすると大きい画像が見れます。

年代 作品タイトル サイズ
<1650年代の作品>
聖プラクセディス 1655年 聖プラクセディス(歴) 101.6×82.6cm
マリアとマルタの家のキリスト 1654年 - 1655年頃 マリアとマルタの家のキリスト(歴) 158.5×141.5cm
ディアナとニンフたち 1655年 - 1656年頃 ディアナとニンフたち(歴) 97.8×104.6cm
取り持ち女 1656年 取り持ち女 140×130cm
眠る女 1657年頃 眠る女 87.6×76.5cm
窓辺で手紙を読む女 1657年頃 窓辺で手紙を読む女 83×64.5cm
小路 1657年 - 1658年頃 小路 53.5×43.5cm
士官と笑う娘 1658年 - 1660年頃 士官と笑う娘 50.5×46cm
牛乳を注ぐ女 1658年 - 1660年頃 牛乳を注ぐ女 45.4×40.6cm
紳士とワインを飲む女 1658年 - 1660年頃 紳士とワインを飲む女 65×77cm
ワイングラスを持つ娘 1659年 - 1660年頃 ワイングラスを持つ娘 77.5×66.7cm
<1660年代の作品>
中断された音楽の稽古 1660年 - 1661年頃 中断された音楽の稽古 39.3×44.4cm
デルフトの眺望  1660年 - 1661年頃 デルフトの眺望 96.5×115.7cm
音楽の稽古 1662年 - 1664年頃 音楽の稽古 74×64.5cm
青衣の女 1663年 - 1664年頃 青衣の女 46.6×39.1cm
天秤を持つ女 1664年頃 天秤を持つ女 39.7×35.5cm
水差しを持つ女  1664年 - 1665年頃 水差しを持つ女 45.7×40.6cm
リュートを調弦する女 1664年頃 リュートを調弦する女 51.4×45.7cm
真珠の首飾りの女  1664年頃 真珠の首飾りの女 51.2×45.1cm
手紙を書く女  1665年頃 手紙を書く女 45×39.9cm
赤い帽子の女 1665年 - 1666年頃 赤い帽子の女 22.8×18cm
真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女) 1665年 - 1666年頃 真珠の耳飾の少女 44.5×39cm
合奏 1665年 - 1666年頃 合奏 72.5×64.7cm
フルートを持つ女 1665年 - 1670年頃 フルートを持つ女 20×17.8cm
絵画芸術 1666年 - 1667年頃 絵画芸術 120×100cm
少女 1666年 - 1667年頃 少女 44.5×40cm
婦人と召使 1667年頃 婦人と召使 90.2×78.7cm
天文学者 1668年 天文学者 50×45cm
地理学者 1669年 地理学者 51.6×45.4cm
レースを編む女 1669年 - 1670年頃 レースを編む女 23.9×20.5cm
恋文 1669年 - 1670年頃 恋文 44×38cm
<1670年代の作品>
ギターを弾く女 1670年頃 ギターを弾く女 53×46.3cm
手紙を書く婦人と召使  1670年頃 手紙を書く婦人と召使 71.1×60.5cm
ヴァージナルの前に座る若い女 1670年頃 ヴァージナルの前に座る若い女 5.2×20cm
信仰の寓意 1670年 - 1672年頃 信仰の寓意 114.3 cm × 88.9 cm
ヴァージナルの前に立つ女 1672年 - 1673年頃 ヴァージナルの前に立つ女 51.8×45.2cm
ヴァージナルの前に座る女 1675年頃 ヴァージナルの前に座る女 51.5×45.6cm

【表の見方】

青色の作品名(3つ):フェルメール作品の真偽が不明なもの

作品名の後ろに(歴)がある:歴史画

赤色のサイズ:一辺が100cmを超えるもの

フェルメールの作風

絵画にはさまざまなジャンルが存在しています。

例えば

・歴史画
・肖像画
・風俗画
・風景画
・静物画

などなど

風俗画とは庶民の日常をテーマとして描いているものです。

現在の風俗とは性的な意味を持つこと多いですが、もともとは人々の衣食住など日常生活のしきたりや風習をさす言葉です。

 

フェルメールの生きた時代では、絵画のジャンルには一種の格式のようなものが存在していました。

【絵画のジャンル格式】

①歴史画
②肖像画
③風俗画
④風景画
⑤静物画

※上に行くほど格式が高いとされていた。

フェルメールの初期の作品

聖プラクセディス

マリアとマルタの家のキリスト

ディアナとニンフたち

はどれも歴史画です。

 

当時のオランダでは歴史画が最も格式高いとされていたものの人気画家でも売り手を探すのが困難なほどでした。

その理由は歴史画を購入してくれるはずの教会が歴史画を飾ることを禁止していたこと

歴史画を買ってくれる裕福な貴族があまりいなかったことが挙げられます。

 

当時のオランダで裕福だったのは貿易で莫大な利益をあげていた商人などの一般市民だったのです。

そんな商人や一般市民に人気だったのが風俗画です。

フェルメールもそんな市場の要求に応えるように1656年の「取り持ちの女」以降風俗画を描くようになります。

 

初期のころは大きかった絵のサイズも風俗画を描くころから小さくなります。

教会や貴族と違って風俗画を買うのは一般市民です。そのためサイズも小さいほうがうれやすかったのでしょう。

メモ

当時の市民層の平均年収は200ギル

フェルメールの絵はおよそ300ギルで売れていたそうです。

平均年収よりも高い値段で取引されていたということから当時でもかなり人気の画家だったのでしょう。

ただし、フェルメールは絵の材料にウルトラマリンという非常に高価な顔料を使っていたのでその値段でも利益が出ていたのかは不明です。

フェルメールの師匠は誰

当時のオランダでは弟子制度が普及しており、フェルメールも師匠のもとで修業を積んだと考えられています。

しかし、フェルメールが誰の元で修業をしていたのかは記録がないためわかりません。

 

師匠として最も有力な説は「カレル・ファブリティウス」です。

カレル・ファブリティウスは1654年におきた大規模な弾薬庫の爆発事故に巻き込まれて死亡しました。

この爆発事故の規模はすさまじくデルフト市街の4分の1が破壊されたと伝えられています。

 

カレル・ファブリティウス死後にデルフト市誌には次のような詩が掲載されました。

かくして不死鳥は無念にも息絶えた。
才能は花開き真っ盛りを迎えていたのに。
しかし、そのから幸いにも現れたるはフェルメール。
そして堂々と師の拓いた道を歩み行くことに。

不死鳥とはカレル・ファブリティウスのことをさしています。

ただし、この詩の解釈に疑問を持つ研究者もおり、この詩をもって師匠を「カレル・ファブリティウス」だとは判明できないとされています。

フェルメールブルーの正体

フェルメールの作品には多くの「青色」が登場します。

真珠の耳飾りの少女のターバンにも青が使われています。

 

この青色の正体は「ウルトラマリン」です。

ウルトラマリンとは「海(地中海)を越えてきたもの」という意味です。

ウルトラマリンの原料となるラピスラズリはヨーロッパ付近では、アフガニスタンでしか産出されまん。

 

ウルトラマリンは当時金よりも貴重なものとされ、ヨーロッパの芸術家たちはウルトラマリンよりもかなり安いアズライトを使って費用を節約していたほどです。

ヨーロッパにはイタリアを通じて輸入されていました。

しかし「ドイツ、オランダ、イギリス、フランス」などのイタリヤよりも北部の国の作品で天然のウルトラマリンが使われることはほとんどありません。

 

そんな中、ただひとりフェルメールだけがふんだんにウルトラマリンを使うことができていました。

そこから、フェルメール作品の青を「フェルメールブルー」と呼ぶようになったのです。

フェルメールってお金持ちだったの?

なぜ、フェルメールはとても高価なウルトラマリンをたくさん使うことができたのか?

それはフェルメールは次のような収入を得ていたからです。

・宿屋収入

・パトロンの援助

・カタリーナの母親からの援助

フェルメールの父親は宿屋と画商を営んでおり父親の死後フェルメールはその仕事を引き継いでいます。

 

またフェルメールには醸造業者で投資家でもあるピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンという富豪のパトロンから援助してもらえていました。

パトロンとはスポンサーのような存在の人や団体のことです。

キャバクラで言えばフェルメールはすごいお金持ちのふと客に気にいられてたということになりますね。

 

フェルメール家とカタリーナ家では経済的格差が大きく今で言えば格差婚にあたります。

カタリーナの両親は離婚しておりフェルメールはカタリーナの母親から多大な援助を受けていました。

 

フェルメールが10人以上の子供を養いつつ年に2~3作という少ない作品数で生活できたのもこのような収入があったからです。

強国オランダの衰退

フェルメールが生きた時代はオランダが世界の頂点に君臨し、好景気にわいた時代です。

しかし、バブルがはじけるように1672年の仏蘭戦争でオランダの国力はいっきに低下します。

 

同じころ最大のパトロンだったファン・ライフェンも亡くなってしまいます。

さらに悪いことは続くもので妻カタリーナの母親も景気悪化の影響を受けて金銭的な余裕がなくなってしまいます。

 

そして、戦争が始まった1672年以降フェルメールの絵は一枚も売れなくなってしまったのです。

 

フェルメールの絵には高価なウルトラマリンがふんだんに使っています。そのため絵が売れないと莫大な借金が残ってしまうのです。

フェルメールは借金を残したまま戦争が始まった3年後の1675年に43歳という若さでこの世を去ります。

 

死因はわかっていませんが、おそらく晩年はお金がなくじゅうぶんな栄養を取るほどの食事をすることができなかったのでしょう。

そのせいで身体を壊してしまったのではないでしょうか。

フェルメールが描いた女性たち

フェルメールの女性たちの多くはお腹がポッコリしています。

フェルメールには15人もの子供が生まれたので妻のカタリーナはお腹が大きい時期も多かったと思われます。

そのことから、これらの女性のモデルは妻のカタリーナだとも言われています。

 

しかし、フェルメールの女性たちの顔を見るととても同一人物には思えません。

もしかして愛人!?

なんて思ってしまいます。

 

当時のオランダではこのようなお腹に綿をつめて大きく見せるファッションが流行っていたので、妊婦ではなく一般女性を描いていたという説もあります。

フェルメールは引きこもりだった!?

フェルメールの絵は室内の様子を書いているものが多いです。

外の風景を描いたものでは

・小路
・デルフトの眺望

という2点の風景画が存在します。

 

ふつう風景画って外で描くものだと思いません!?

でも、フェルメールが描いた風景画は2つとも室内で描かれたものだと考えられています。

 

フェルメールが絵を描く場所を室内にこだわった理由はカメラ・オブスクラを使うためです。

カメラ・オブスクラとはカメラの前身となるもので暗い部屋又は箱に外の景色をうつしだす技法のことです。

この方法を使うことで正確な遠近法を描くことができるのです。

風景画までも室内で書くことにこだわったのは、室内を暗くしてカメラ・オブスクラで外の風景をうつし出すためだったのでしょう。

フェルメールの世界観

フェルメールは室内でのみ絵を描いていました。

でもフェルメール自身の意識は外へ外へと向いています。

 

フェルメールの絵に描かれるものに次のようなものがあります。

【フェルメールの絵にみられる特徴的なもの】

・窓

・外の光

・地図

・手紙

これらはすべて外の世界から訪れるもの、又は外の世界そのものをあらわしています。

フェルメールはなぜこれほどまでに外の世界へ関心が強かったのでしょうか。

 

フェルメール自身は生涯デルフトを離れることなく過ごしたと言われています。

もしかしたら、フェルメールの関心のあった外の世界とは精神的な世界のことなのでしょうか?

17世紀の風俗画の特徴

17世紀のオランダの風俗画には教科書的な道徳が込められていることが多くありました。

それは絵をひと目見て画家のメッセージを読み解くことができる明快なものばかりです。

しかし、フェルメールの絵にはそのメッセージが巧妙に隠されているものが多いのです。

 

なぜ、フェルメールは自己主張をしなかったのかはわかりません。

しかし、人は無意識的に描かれたものから別の意味を感じ取ります。

フェルメールの絵は目から入った景色だけでなく、深層心理にも訴えかけるから人々を魅了してやまないのかもしれません。

忘れられた画家
(無名から有名へ)

フェルメールは当時オランダの人気画家でした。

その証拠に聖ルカ組合の理事に史上最少という若さで選ばれています。

※聖ルカ組合とは芸術家たちで作られたチームみたいなものです。

 

フェルメールと同じ時代に生きた人々はもちろんフェルメールのことを知っていたでしょう。

しかし、子から孫の時代へと変わるとフェルメールの存在は完全に忘れ去られてしまうのです。

その理由はフェルメールの絵を買っていたのが市民だったからです。

貴族や王宮または教会が買い手であれば記録も残るのでかんたんに忘れ去られることもなかったでしょう。

 

しかし、1866年トレ・ビュルガーによってフェルメールの名はまた世に出てくることとなります。

今から130年ほど前に再び世に出た無名な画家が今ではこんなにも有名になるとは・・・きっとフェルメール自身、夢にも思っていなかったでしょうね。

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